京都市内の史跡一覧
「本能寺の変」の舞台となった本能寺。現在の本能寺は移動後であり、本来の場所とは異なる。
石碑は2種類あり、「ヒ」が「去」の字に置き換えられている方が新しく建てられた石碑になる。
字の理由は「ヒ(火)」が重なる(炎)のを忌むためである。
織田信長が上洛中の宿所として利用していた本能寺だったが、「本能寺の変」で明智光秀に包囲された際に焼失。
1591年豊臣秀吉の命で現在の地(中京区寺町御池下ル)へと移転させられた。
現在は「能」の「ヒ」の部分が「去」になっているが、これは五度も火災に遭遇したのでヒ(火)を嫌い能の字に替えたものである。
豊臣秀吉が聚楽第を建てるまで拠点として使われた城の跡地。
堀をめぐらし天守があったとされており、京都での政治的拠点であったと考えられる。
信長が京都の居所として造営。その後誠仁親王へ献上された。
「本能寺の変」の際は、織田信忠が妙覚寺から移動して籠城。
明智軍との戦場になった結果信忠は自刃。二条御所は焼失した。
旧二条城は1569(永禄12)年、織田信長により室町幕府15代将軍・足利義昭の将軍座所として築城された。
義昭を追放し、東宮誠仁親王を迎え入れたあとは「二条御所」として使われていたが、室町幕府の滅亡に伴い廃城となった。
かつて室町幕府の三管領筆頭・斯波義将の屋敷があったが、応仁の乱により焼失。
その後室町幕府第13代将軍・足利義輝の邸宅が築かれた。
1565年、義輝は松永久秀、三好三人衆らに襲撃され切腹。邸宅も焼失してしまった。
1本の石碑に「此南 聚楽城武家地 直江兼続屋敷跡推定地」、「此北 聚楽城武家地 上杉景勝屋敷跡推定地」と書かれている。
「推定地」とあるとおり、付近の地名「直家町」から由来している。
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